『井戸のそばに座っておられた』

『井戸のそばに座っておられた』
(ヨハネによる福音書4章1節~6節)
(2026年7月19日 ベテル清水教会 聖日礼拝説教)

今朝のイントロは、再び、NHKの朝ドラネタです。
『風、薫る』の原案は、「明治のナイチンゲール大関和(ちか)物語」です。

ドラマに登場する人たちには、クリスチャンが多く、聖書の教えを生活に適用し、自分が変わり、社会を変えながら、出会う人々の人生に影響を与えました。

看護の仕事と聖書の教えには、親和性があり、彼女たちは、聖書の教えを知り、信仰を持つことが、よりよい看護になる、と考え、福音を伝えました。

ドラマは公共放送でありますので、彼女たちが福音を伝える場面は描かれていませんが、原案を読むと、彼女たちは、暇を見ては、神の教えを語っています。

病院側からは「伝道は一切まかりならぬ」と、禁じられるほどで、そのことが、当時の新聞に報じられるほど、彼女たちは、熱心に福音を伝えていました。

前回、このドラマに出て来るする牧師は、富士見町教会の創立者である植村正久先生がモデルであり、主人公がこの牧師との出会い、救いに導かれ、この牧師に背中を押され、看護婦となり、彼女の人生に神のドラマが展開していきました。

人生は出会いの連続であり、出会いによって、人生のドラマは決まります。
神と出会った人と出会うと、不思議な神のドラマが始まるのです。

今朝はもう一人、このドラマに登場するクリスチャンのことをお話します。
「ちゅう」と呼ばれる丸山忠蔵です。
ドラマでは、皮膚病を患って入院し、手厚い看護を受け、病気が治ります。

退院後、行く当てがなく、直美に連れられ教会に行き、牧師に会います。
その後、長屋で暮らし、食べ物に関心があったので、団子屋で働くのです。

彼も実在の人物がモデルであり、日本初のクリームパンを発売し、新宿中村屋を創業した相馬愛蔵という方です。
彼は、東京専門学校(早稲田大学)に入学し、寮で疥癬を患い、入院し、看護師の大関和(ちか)と出会って、その後も、二人の交わりは続きます。

クリスチャンとの出会いは、神が備えた出会いです。
神を信じるクリスチャンとの出会いは、一過性の出会いで終わりません。

実際、主人公との交わりは続き、お互いに助け合う姿も記録に残っています。
彼がパン屋を始めた時、看護婦をしていた彼女は、すぐに駆け寄り、病院でも販売できるように掛け合った、というエピソードもあるのです。

人生は出会いで決まります。
人生で最も大切な出会いは、私たちを造られたお方、主なる神との出会いです。

神様は、出会いを備えてくださるお方です。
今朝は、そのことを心に留めながら、今日の御言葉を黙想したいと思います。

さて、聖書日課は、先週からエゼキエル書を黙想しています。
礼拝でも、旧約聖書が続きますので、今日から新約聖書、ヨハネ4章に記されている「イエスとサマリアの女」との出会いの物語を黙想していきます。

もう一度、4章1節からお読みします。
4:1 さて、イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、洗礼を授けておられるということが、ファリサイ派の人々の耳に入った。イエスはそれを知ると、
4:2 ――洗礼を授けていたのは、イエス御自身ではなく、弟子たちである――

この時、イエス様の噂は、ガリラヤからユダヤの町まで広がっていました。
ファリサイ派の人々は、イエス様に関する噂を聞いて、警戒し始めていました。
人の噂は、実際の話と違ってくるケースが多々あります。

今の時代、私たちも気を付けていなければならない、と思います。
人の噂、ネットの情報に惑わされないように、気を付ける必要があります。

4:3 ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた。
4:4 しかし、サマリアを通らねばならなかった。

当時、ユダヤ人たちは、サマリア人を忌み嫌っていました。
なぜ、ユダヤ人はサマリアを避け、彼らを忌み嫌うようになったのでしょうか。
そこには、サマリア人の悲しい過去、黒歴史があります。

イスラエルは、ダビデ・ソロモンの時代に栄華を極めました。
ソロモンの死後、イスラエルは分裂し、南ユダと北イスラエルに分かれます。
南ユダの種とはは、エルサレムを首都し、北イスラエルはサマリアを首都としました。

紀元前722年、アッシリアは北王国を侵略し、サマリアは陥落し、彼らは、祖国を離れ、アッシリアに連行され、多くの人々は、難民となり、離散します。

この時、植民地政策によって移住して来た人々と結婚し、その地で生まれた子孫たちは、「サマリア人」と呼ばれるようになったのです。

私たちは、先週まで、ハガイ書や詩編を読み、バビロン捕囚から帰還し、神殿を再建し、神様に感謝し、讃美を捧げたユダヤ人の姿を見てきました。

サマリア人は、ユダの民がエルサレムに帰還し、神殿を再建し始めた、という話を聞いて、自分たちも神殿建築に協力したい、と申し出たことがあります。
しかし、ユダヤ人たちは、拒絶し、忌み嫌い、交わりを避けてきたのです。

確かに、サマリアの人の中には、神仏習合のように、イスラエルの神を信じながらも、他国の神々をも信じる人々もいましたが、イスラエルの神を信じ、救い主を待ち望む人たちもいたのです。

4:4 しかし、サマリアを通らねばならなかった。
ユダヤ人が避けて通るサマリアを、なぜ、イエス様は通られたのか。
その理由は、後で分かるようになります。

イエス様は復活した後、弟子たちにこう語っています。
使徒言行録1章8節
1:8 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

福音は、エルサレムからユダヤとサマリアの全土、さらに、地の果てにまで、神を信じる者たちを通して、宣べ伝えられる、という預言です。

神様がアブラハムとその子孫を選ばれたのは、彼らだけが神を信じ、救い主を信じ、救われることではないのです。
彼らは、恵みによって救われる民のモデルなのです。
彼らの姿、彼らが救われ、神を畏れて生きる姿を通し、すべての民が神を信じ、神を畏れて生きる者となるためなのです。

4:5 それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。
4:6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。

今日の御言葉です。
井戸のそばに座っておられた
今日のテーマです。

当時は、水道設備などありません。
生活用水は、井戸を掘って、使っていました。

水がなければ、人は生きることができません。
井戸は、人が生き、人が生活していくためにも必要な水を汲む場所です。

同じ井戸でも、このヤコブの井戸は、神を信じ、救いを待ち望む者には、特別な井戸でした。

井戸のそばに座っておられた
神様は、井戸のそばに座って、今も、いつも待っておられるのです。

かつてヤコブは、荒れ野で神と出会いました。
主が傍らに立ち、「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る」との言葉を聞きました。
ヤコブは、その場所を「ベテル」(神の家)と名付けたのです。

ヤコブは、ベテルを旅立ち、約束どおり、再びカナンの地に帰って来ます。
その時、ヤコブはシケムの地で天幕を張り、祭壇を立て、そこに住みます。
この時に掘った井戸が、ヤコブの井戸であろう、と言われています。

4:5 それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。

考古学的には、サマリアのシケムの地にヤコブの井戸があったと言われ、この「シカル」は、シケムのことだと、考えられているのです。

ヤコブにとって、このシケムは、ヤコブの家の黒歴史、悲しい場所でした。
この町で悲しい事件が起こり、最もつらい経験をした場所です。
その時、その場所で、ヤコブは主の言葉を聞いたのです。創世記35章(P59)

35:1 神はヤコブに言われた。「さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてその地に、あなたが兄エサウを避けて逃げて行ったとき、あなたに現れた神のための祭壇を造りなさい。」
35:2 ヤコブは、家族の者や一緒にいるすべての人々に言った。「お前たちが身に着けている外国の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい。
35:3 さあ、これからベテルに上ろう。わたしはその地に、苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神のために祭壇を造る。」

私は、ヤコブの井戸は、シケムの地にありました。
ヤコブが最も辛く、悲しい時に、そこにヤコブの井戸があったのです。

来週、取り上げますが、この後、イエス様が出会うサマリアの女もそうです。
彼女も、最も辛く、悲しい状況にありました。
その彼女が来るのを、イエス様は、座って待っておられたのです。

もちろん、この時、彼女は知りません。
彼女は、何も知らず、人目を避け、正午の時間帯に、井戸に行き、そこで救い主と出会うのです。

みなさん。教会はベテル、神の家であり、主を崇め、礼拝する場所です。
主は、この場所に座って、待っておられるのです。

私たちクリスチャンは、ヤコブの井戸でもあります。
私たちのそばに、主が座って、私たちが出会う人たちと出会うことを待っておられるのです。

神様は、イエス様を遣わし、サマリアの女と出会い、やがて彼女がイエス様を救い主と信じ、彼女は、サマリアの人たちにイエス様のことを伝えたのです。
イエス様は、私たちと出会って、私たちが出会う人たちの上にも、神のドラマ、神の御業が起こることを願っておられるのです。

最初に、朝ドラでは、皮膚病を患って、団子屋の店主になった若者は、新宿中村屋の創業者・相馬愛蔵さんだという話をしました。

彼は、学生時代に洗礼を受け、文筆家のクリスチャン女性と結婚し、内村鑑三の影響を受けたようです。

彼は、聖書の教えを土台にしながら、「世のため人のために物を売って自他ともに喜びを分かち合う」という理念を掲げ、パン屋を始めたのです。

関東大震災の時には、食料が値上がりする中で、手持ちの材料で饅頭を作り、原価で被災者に提供し、社員は徹夜でパンや菓子を焼き続け、「奉仕パン」「地震饅頭」と名付けられ、その企業姿勢は、人々の心に感動を与えました。

彼は、聖書の教えを生活に適用し、商売をしました。
彼は、ある書物で「社会が公平なりと認める儲けしか頂戴しないで、真面目にやっていく店は、自然と繁盛するものである」と語っています。

人生は出会いで決まります。
クリスチャンとの出会いを通し、神と出会う人は、人生が変えられます。

相馬愛蔵さんの店で働き、この理念に共感し、パン屋を始めた人がいます。
それが、山崎製パンの創業者、飯島藤十郎さんです。

彼は、15歳の時、父親を亡くし、新宿中村屋で丁稚奉公を始めました。
彼は、クリスチャンである相馬さんと出会い、彼が聖書の教えを企業に適用し、実践する姿に共感し、自らもパン屋を始めたそうです。

彼は、リヤカーでパンを売り始め、クリスチャンになっていないのに、「神は愛なり」という御言葉を掲げ、売り歩いたというエピソードがあります。

飯島さんにとっては、相馬さんと出会ったことが信仰の始まり、神のドラマの始まりとなりました。
以前、プレジデントという雑誌に、彼の息子さんの証が掲載されました。

創業者の父・藤十郎が病を得たことが、私の苦しみの始まりでした。

実弟である叔父に一時経営を委ねましたが、叔父は父の病状が回復しても「社主はまだ病気だ」と言い張り、主導権争いを繰り広げる事態になりました。
この時期から父は教会へ通い始め、私も行くようになりました。

私は、この問題を解決するには父、母、私の三人が心を一致させ、対処する必要があると考え、両親に受洗を提案しました。
3人揃って洗礼を受けたのは、73年7月15日のことでした。

ところがこのわずか11日後に、最有力工場である武蔵野工場が火災に遭い、生産設備が全焼してしまったのです。
父は、「この火災は自分本位に仕事を進めてきたことに対する神の戒めです。これからは神の御心にかなう会社に生まれ変わります」と祈りました。

飯島社長は、最後にこう述べています。
ビジネスの仕組みは、キリスト教文化から切り離せません。だから、神の教えに忠実に経営をすればよい結果が得られる。知っておいて損はありません。

一人の人がイエス様と出会い、この出会いを通して、人生が変えられる。
サマリアの女とイエス様との出会いの物語は、私たちにも、そのことを教えているのです。

聖書は、知っておいて損はありません。
神様のことを知らないことは、最大の損失です。

主は、いつも私たちのそばにおられます。
私たちが出会う人たちとも出会ってくださるお方です。

主こそ神であることを信じ、主に依り頼み、主の言葉に従って、今週も歩んでいきましょう。
お祈りいたします。