『見よ、わたしはあなたと共にいる』
(創世記28章15節)
(2026年6月14日 ベテル清水教会 聖日礼拝説教)
先週までハガイ書を学んでいますが、神様のドラマ、御心が行われる時には、神の霊の働きかけに、心動かされ、奮い立たされた人たちが立ち上がります。
今年、3月にY姉から6月に帰国するので、ベテルで話したことのない救いの証をさせてもらえませんか、というLINEと共に、すぐに証原稿が届きました。
先週、説教の準備をしながら、Y姉が初めて来た日のことを調べました。
初めてこの教会の礼拝に出席されたのは、12年前、2014年1月19日でした。
その日は、兵庫教区の礼拝交流の日であり、私は西宮公同教会での説教のために不在であり、教区の中で、社会活動に熱心な菅澤先生が来られた日でした。
その一か月後、再び姉妹が来たのは、創立10周年の記念礼拝でした。
伝道活動に熱心な亀有教会の鈴木先生による説教だったのです。
みなさん。神の言葉を解き明かす説教は、霊の糧だと言われます。
しかし、毎日の食事と同じで、その日、何を食べたのか、何を聞いたのかは覚えていないもので、Y姉も、説教については覚えていない、と言われていました。
ただ、子供が騒いだので、迷惑だと思って帰ろうと外に出ると、呼び止められ、残って交わり、それから四か月後、5月4日に転入会されました。
後日、交友誌の中で、その時の教会の印象を、Y姉はこう語っていました。
「入った瞬間に神様の豊かな臨在と恵みが満ち溢れていて「ここにずっといたいな」と思わされたのが印象的でした、と。
第一印象って大切ですね。
先週、ハガイ書から「この場所にわたしは平和を与える」というお話しました。
神様は平和の神であり、主の臨在のあり、神の恵みが満ち溢れているところに、神様との平和(シャローム)、平安な心が与えられます。
先週、信徒の友7月号が届き、私たちの教会の紹介記事が掲載されました。
編集部の方にお礼のメールを送ると、「皆様が御教会で平安を得ておられることが印象的でした」という返信がありました。
主の臨在と神の恵みのあるところに、安息があり、神のドラマが始まります。
私たちは「ホッとする教会」「今も生きて働いている神様を体験する教会」でありたいと願っていますが、その原点は、創世記28章15節の御言葉です。
今朝は、教会設立聖句、教会の原点であるこの御言葉を短く分かち合います。
28:15 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」
見よ、わたしはあなたと共にいる
今日のテーマです。
主が共におられるところに、主の臨在があります。
主と共に行くところには、神の恵みがあり、神の祝福が伴うのです。
この言葉を聞いたのは、アブラハムの孫、イサクの子、ヤコブです。
神様は、アブラハムを選び、彼と子孫を神の民とし、祝福すると約束しました。
この約束は、アブラハムからイサク、イサクからヤコブ、ヤコブからヤコブの子孫、イスラエル、さらに私たちクリスチャンへと引き継がれました。
今朝は、そのことには触れません。
この言葉を聞いた時、ヤコブの状態は、どんな状態だったでしょうか。
彼は、母親と結託し、父を騙し、兄を押しのけ、神の祝福をゲットします。
ヤコブが祝福を受けるのは、神の約束でしたが、ヤコブは時を待つことができず、自分の力で、悪だくみを用いて、神の祝福を得ようとしたのです。
兄エサウは、弟ヤコブを恨み、殺意を抱きました。
母親は、二人の息子を守るために、ヤコブを叔父の家に逃れさせます。
この事件は、ヤコブの家族に悲しい別れをもたらし、大きな試練となります。
平和な家庭は壊され、家を離れたヤコブの心は不安と恐れに苛まれます。
その時、主がヤコブに現れ、語ったのが、今日の御言葉なのです。
28:15 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」
神様は、救いの神であり、回復の神です。
主が共にいるならば、そこに神の恵みがあり、救いと回復の御業が起こります。
私は、これを「神のドラマ」と呼んでいます。
Y姉妹も、神を信じながらも、苦難の道、大きな試練を経験しました。
神様は、姉妹を見捨てず、ヤコブのように荒れ野でベテルに導かれたのです。
ベテルで、主の臨在に触れ、神の恵みを体験し、どこに行っても、神様が共におられ、守られるという神のドラマを体験し、アメリカに渡られたのです。
神のドラマは、後になればなるほど、よく分かります。
初めてここに来た日に、誰が今の姿を想像できたでしょうか。
自分の信仰が回復するだけではなく、妹が救われ、父親が救われ、再婚した夫も子供も救われ、お姉さんまでも救われるという神のドラマが起こりました。
神様のドラマは奇想天外であり、あっと驚くサプライズを伴います。
交友誌には、姉妹が書いた証の数々が記録されています。
さらに、今回、私たちの教会が信徒の友で紹介され、「この教会にこの人あり」というコーナーに、姉妹の家族の中に起った神のドラマが、全国に証しされ、その発売された日に、日本に帰り、ここで証をしているのです。
神様のドラマは、神の驚きが満ち溢れた、ワンダフルな世界です。
28:15 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」
この御言葉は真実であり、神を信じ、神が遣わしたイエスを救い主と信じた者には、この約束があり、神のドラマの中を生きるようになるのです。
私の母親もそうでした。
母は、京都の亀岡にあるお寺の娘として生まれ、3歳の時に、僧侶であった父を亡くし、親戚の家の養女となり、波乱万丈の人生を歩みました。
母は、養父の仕事の関係で朝鮮半島に渡り、そこで終戦を迎え、平壌から38度線を越え、釜山に向かう途中、養母を失い、日本に帰国します。
ある日、友達に誘われ、静岡の富士宮にある教会へ導かれ、自分もイエス様を信じ、洗礼を受けたいと願いました。
しかし、養父は、母に婿を迎え、家を継がせたいと考えており、猛反発。
「耶蘇教には家を継がせることはできない。「洗礼を受けるなら、家を出ていけ」と叱られましたが、母は、選択を迫られました。
ある日、教会の大きな集会に参加し、そこで献身への招きがあり、誰かに背中を押されるようにして、前に出たそうです。
その帰り道、汽車の中で、母は主の声を聞いた、というのです。
「汝、誓願かけるは 果たすことを 怠るなかれ」
「主イエスを信ぜよ、然らば汝も汝の家族も救はれん」と。
母は、この声に従い、御言葉を信じ、父の家を離れました。
しかし、主は母を見捨てず、どこに行っても共にいて、神のドラマを体験し、晩年は、この教会に来て、最後の使命を果たし、五年前、天に召されました。
先週、母の姉、102歳になる私の叔母が入院している病院を訪ねました。
この叔母も、僧侶の娘です。
しかし、母に導かれ、堺の教会で洗礼を受けました。
この教会を改装したジェネシスさんが所属される教会で、完成した時には、一緒に来て、この礼拝にも出席されました。
役員会の議事報告にも記していますが、先日、その叔母の一人息子から電話があり、母はキリスト教の葬儀を望んでいるので、最後は「あなたのお母さんがクリスチャンにしたので、そちらでお願いできますか」と言われたのです。
納骨もお寺ではなく、母と同じ納骨堂に入れてほしい、と頼まれたのです。
主が共にいることは、神の恵みです。
この恵みは、決して無駄にならず、その恵みは永遠に続くのです。
今週も、主が共にいることが当たり前だと思わず、神の恵みを忘れず、存在の基盤として、神のドラマを期待して、共に歩んでいきましょう。
お祈りいたします。

