『すべての霊を奮い立たせられた』
(ハガイ書1章12節~15節)
(2026年5月31日 ベテル清水教会 聖日礼拝説教)
今朝のイントロは、朝ドライントラドンです。
現在、放送中の朝ドラ「風、薫る」は、明治時代、西洋式の看護学を学び、職業看護婦(トレインドナース)の道を切り拓いた二人の女性の物語です。
原案は、「明治のナイチンゲール大関和(ちか)物語」であり、大関和(ちか)と、彼女を支えた鈴木雅の二人のクリスチャンがモデルです。
主題歌のサビの言葉がいいですね。
ようやくミセスを覚えましたが、風はただ知っている、とあるように、ドラマの中で、不思議な風が吹き、その風に誘われるようにドラマが展開しています。
ドラマには、牧師や教会も登場しますが、公共放送なので彼女が教会に導かれ、クリスチャンとなり、聖書の教えに従って生きた姿までは描かれていません。
しかし、原案の書物を読むと、彼女も神に選ばれ、神の霊に奮い立たされ、神と共に歩む神のドラマを体験した人であり、世に証しを残したことが分かります。
ドラマでは、研ナオコが謎の占い師やナレーターを担当し、風が吹くシーンがありますが、神のドラマの視点で見ると、私たちの歩みを見守り、風を吹かせ、預言者や天使を遣わし、御心に適う人生へと導かれる神様の存在を感じます。
その視点で見ていると、「風と町」の主題歌も、讃美歌のように聞こえます。
ヘブライ語で風はルーアッハ(霊)であり、神の霊は、何もかもご存じです。
神の霊(聖霊)は、私と誰か(イエス様)を愛で繋いでくれました。
泣きたくなる日がある事も、風はただ知っている。
アーメンですね。
わたしは奇跡の愛で生まれて
風はただ知っている。
アーメン。アーメンですね。
さて、先週は、聖霊降臨祭(ペンテコステ)でした。
神の霊(聖霊)が弟子たちの上に、風の如くに吹いて、教会が生まれたのです。
聖書は教えます。
私たちは皆、神に造られ、命の息(霊)を吹き込まれ、生きる者となり、十字架の愛、奇跡の愛と聖霊の力によって、新しく生まれ変わりました。
神の霊は、私たちが歩んで来た道、荒れ野を歩んだ時も、泣きたくなった日にも、いつも共にいて、守り、助け、導いてくださるお方です。
さて、今朝も、先週に引き続き、ハガイ書の御言葉を取り上げます。
これから会堂を建て直し、新会堂建設に向かうにあたって、このハガイ書の御言葉を深く黙想することは、とても有益で、大切なことだと思っています。
1:12 シャルティエルの子ゼルバベルと、大祭司ヨツァダクの子ヨシュア、および民の残りの者は皆、彼らの神、主が預言者ハガイを遣わされたとき、彼の言葉を通して、彼らの神、主の御声に耳を傾けた。民は主を畏れ敬った。
旧約聖書の最後に登場する預言書、ハガイ書とゼカリヤ書、マラキ書の三つは、バビロン捕囚から帰還した民に向かって、語られた主の言葉が記されています。
神の恵みによって、救いと回復の御業を体験した民に語られているのです。
彼らは、かつて主の目に悪を行い、国を失い、神殿を失い、遠く離れたバビロンの地に連行され、奴隷生活を送っていました。
そんな彼らの耳に、驚くべき良い知らせ、グッドニュースが飛び込みました。
それは、バビロンを倒し、新たな王になったペルシアの王が、神に心を動かされ、神の命令を受け、彼らに神殿を再建せよ、という命令を下したからです。
王の命令を受け、心動かされた人々は立ち上がり、エルサレムに帰還しました。
エズラ記2章には、帰還した人々の名前が記されており、その最初に名が記されていたのが、今日の個所に出て来るゼルバベルとヨシュア(イエシュア)です。
3章にも、この二人の名前が出てきます。P725
3:1 第七の月になって、イスラエルの人々は自分たちの町にいたが、民はエルサレムに集まって一人の人のようになった。
3:2 祭司たち、すなわちヨツァダクの子イエシュアとその兄弟たちは、シェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちと共に立ち上がり、イスラエルの神の祭壇を築き、神の人モーセの律法に書き記されているとおり、焼き尽くす献げ物をその上にささげようとした。
3:3 彼らはその地の住民に恐れを抱きながら、その昔の土台の上に祭壇を築き、その上に焼き尽くす献げ物、朝と夕の焼き尽くす献げ物を主にささげた。
彼らは、一つになり、共に立ち上がり、昔の土台の上に神の祭壇を築き、主の教えに従って、朝に夕に礼拝を捧げたのです。
この姿は、ダビデの幕屋が回復された姿です。
みなさん。神殿を再建する前に、しなければならないことがあります。
それは、ダビデの幕屋が回復されることです。
民が一つになって礼拝を捧げる。
礼拝の回復なしに、神殿を建てることはできないのです。
思い返すと、私たちの教会の歩みも、そのプロセスを経験しました。
22年前、開拓して、すぐに新会堂を目指しました。
神様は、その前に、私たちを一つにするために荒れ野を通らされたのです。
ダビデの幕屋を回復することが先決だったのです。
3:6 第七の月の一日に、彼らは主に焼き尽くす献げ物をささげ始めた。しかし、主の神殿の基礎はまだ据えられていなかった。
3:7 彼らは石工と大工に銀貨を支払い、シドン人とティルス人に食べ物と飲み物と油を与え、ペルシア王キュロスの許しを得て、レバノンから海路ヤッファに杉材を運ばせていた。
彼らは、エルサレムに帰り、礼拝を開始しました。
その時、昔の場所に戻っただけで、廃墟となった場所で、きっと天幕を張って、その場所で礼拝を続けながら、神殿建築に必要な資材を集め、基礎を築きます。
3:10 こうして建築者が主の宮の基礎をすえた時、祭司たちは礼服をつけてラッパをとり、アサフの子らであるレビびとはシンバルをとり、イスラエルの王ダビデの指令に従って主をさんびした。
3:11 彼らは互に歌いあって主をほめ、かつ感謝し、/「主はめぐみ深く、/そのいつくしみは/とこしえにイスラエルに絶えることがない」/と言った。そして民はみな主をさんびするとき、大声をあげて叫んだ。主の宮の基礎がすえられたからである。
主の宮の基礎、土台が完成し、彼らは喜び、主を讃美しました。
私は、ここを黙想しながら、16年前の、私たちの姿を見る思いがしました。
2010年度の標語は、「恵みによって生きる」でした。
その時、私は教会の活動方針として、三つの柱を掲げていました。
① 礼拝を人生の中心に
② QTを生活の基本に
③ 恵みを存在の基盤に
これが私たちの教会の基礎となり、土台となり、七年目に教会が一つになり、ダビデの幕屋が回復し、教会を改装し、翌年、献堂式を行ったのです。
それが15年前のことであり、この三つの柱を基礎にして歩んできました。
エズラ記では、4章に入ると、敵が来て、工事を妨害し、思わぬ妨害が入ると、神殿工事はストップし、5章で工事が再開されるに15年かかったのです。
私は毎日、QTを黙想しながら、聖書の世界は、遠い昔の物語ではなく、聖書の物語、神のドラマは、現実とリンクし、身近に感じることが多くあります。
このハガイ書を黙想しながら、神のドラマを感じ、主を畏れました。
5章に入ると、預言者ハガイと預言者ゼカリヤが遣わされます。
5:1 預言者ハガイとイドの子ゼカリヤが、ユダとエルサレムにいるユダの人々に向かってその保護者であるイスラエルの神の名によって預言したので、
5:2 シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは立ち上がって、エルサレムの神殿建築を再開した。神の預言者たちも彼らと共にいて、助けてくれた。
神のドラマが展開する時には、神の霊(聖霊)が働くのです。
御言葉と共に働く神の霊(聖霊)によって、心動かされる人が現れます。
この時、神様はハガイとゼカリヤ、さらに神の預言者たちとあるので、他の預言者たちも共にいて、彼らを励まし、助けてくれたのだろうと思います。
ここでハガイ書に戻りますが、もう一度、12節、13節をお読みします。
1:12 シャルティエルの子ゼルバベルと、大祭司ヨツァダクの子ヨシュア、および民の残りの者は皆、彼らの神、主が預言者ハガイを遣わされたとき、彼の言葉を通して、彼らの神、主の御声に耳を傾けた。民は主を畏れ敬った。
1:13 主の使者ハガイは、主の派遣に従い、民に告げて言った。「わたしはあなたたちと共にいる、と主は言われる。」
先週、ここを黙想し、説教の準備をしながら、改めて、会堂を建て直すためには、教会の基礎、土台、基盤の大切さを教えられたのです。
主の御声に耳を傾けた。
聖書を通し、主の御声に耳を傾ける。
これはQTであり、「QTを生活の基本に」という姿勢です。
民は主を畏れ敬った。
主を畏れ敬い、礼拝を捧げる。
これは「礼拝を人生の中心に」という姿勢です。
「わたしはあなたたちと共にいる、と主は言われる。」
主が共におられる。これは神の恵みです。
まさにこれは「恵みを存在の基盤に」という姿勢です。
「今日までしてきたように、ただあなたたちの神、主を固く信頼せよ」とあるように、16年前に柱として据えたものの上に、主の宮を建てていきたい。
そう願っています。
1:14 主が、ユダの総督シャルティエルの子ゼルバベルと大祭司ヨツァダクの子ヨシュア、および民の残りの者すべての霊を奮い立たせられたので、彼らは出て行き、彼らの神、万軍の主の神殿を建てる作業に取りかかった。
1:15 それは六月二十四日のことであった。
今日の御言葉です。
すべての霊を奮い立たせられた
今日のテーマです。
神様が御心を行われる時には、神の霊が働きます。
神様は、ユダの総督ゼルバベルと大祭司の子ヨシュアの霊を奮い立たせ、民の残りの者すべての霊を奮い立たせられたのです。
残りの者とは、バビロンの地から戻ってきた人たちです。
彼らは、主に心動かされ、神殿を再建するために帰ってきた人々です。
彼らの中には、町が再建され、ダビデの幕屋が建て直された場所に運ばれてきた人たちもいたことでしょう。
主が彼らの霊を奮い立たせられたので、彼らは出て行き、主の神殿を建てる作業に取りかかったのです。
神様の御心であるならば、神の風が吹き、時には背中を押す人が現れ、逆風が吹いても、それに抗いながら、神の栄光が現れる、と信じています。
先週、私は、朝ドラの原作となった本を読みながら、とても励まされました。
ドラマでは、主人公のりんと直美に、鹿鳴館の捨松夫人から「ナースにならないか」と誘われ、看護学校に入ったことになっています。
しかし、実際は、彼女の背中を押し、看護婦にならないかと誘ったのは、東京の富士見教会の初代牧師、植村正久先生なのです。
大関和(ちか)さんは、この教会に導かれ、キリスト教こそ、自分を、女性たちを救う宗教だと信じ、洗礼を受けました。
彼女は、讃美歌を歌うと、悩みや疲れが吹き飛び、また頑張ろう、という気持ちになった、そうです。
まさに、彼女の人生にも、教会はホッとする場所であり、ここで聖書を黙想し、自分の歩むべき道を示され、神の霊に奮い立たされたようです。
彼女は、鹿鳴館で働き、三年目に入ったある日、礼拝が終わり、帰ろうとすると、植村先生に「大事な話がある」と呼び止められ、「あなた看護婦になりませんか」と背中を押されたそうです。
彼女が立ち上がった背後には、神の霊に動かされ、日本に宣教に来た人たちの姿もあり、神様はいろんな人々の霊を奮い立たせ、御心を行われたのです。
ある日、悩んで決断できない彼女に、植村先生は言いました。
「職業に貴賤はありません。名誉にとらわれて虚しい日々を送るより、真に人の助けとなる仕事を為し、神の教えを広める方が有意義だと思いませんか」と語られ、最後に「これは神の思し召しですよ」と念を押された、というのです。
その後、彼女は看護婦になる決意を固め、暗闇の中を走り抜け、真夜中の一時過ぎに植村先生の家に向かって、報告した、というエピソードもあります。
まさに風が吹いた瞬間です。
みなさん。神のドラマは長編ドラマであり、連続ドラマです。
その連続ドラマの中に、私たちも生きているのです。
大切なことは、神の風が吹く時、御心に従って、立ち上がることなのです。
神様は、不思議な方法で、人の心を動かし、御心を成し遂げられます。
神様の願いは、神様の素晴らしさを世の人々が知り、神を畏れ敬う者となり、神に仕え、人に仕え、世の光、地の塩となり、証を残すことです。
1:15 それは六月二十四日のことであった。
私たちの人生にも、神の霊に動かされた日、風が吹いた時があると思います。
教会に導かれた日もそうです。信仰を決断した日もそうです。
御言葉を黙想し、立ち上がった日もそうです。
その日を忘れず、その日を記録しながら、神の風が吹くままに、身を委ね、神の栄光を証しする者となり、証し続ける教会でありたいと願います。
お祈りいたします。

