『成長させてくださる神』
(コリントの信徒への手紙一 3章6節~9節)
(2026年5月17日 ベテル清水教会 聖日礼拝説教)
私は、毎朝、QTが終わり、御言葉メールを送信すると、家に戻り、朝食を食べながら朝ドラと朝ドラ受けを見て、教会に行くルーティンを繰り返しています。
先週、朝ドラ受けを見た後、今日のテーマは「老害」です、という言葉にドキッとし、夜、NHKプラスで、その続きを見ました。
番組の冒頭、「老害とは、自分より若い世代の人に説教をしたり、昔の自慢話したり、負担や迷惑をかける存在」とあり、「わたしも老害」と思ったのです。
毎週、説教を語っていますし、最近、やたらと昔話をしていますからね。
その後、漫画「テルマエ・ロマエ」の作者で、漫画家のヤマザキマリさんの言葉に救われました。
「老害。上等だ。長く生きている人だけ、味わい深い動き、味わい深い発言をするようになる」「いい出汁が出ている。若いと、いい出汁が出ませんからね」と。アーメンでした(笑)。
神学生時代、亀有の鈴木先生から「井上先生は灰汁がないからね。牧師は少し灰汁がある方がいいんだよ」と言われたことがあります。
鈴木先生は少しどころか、灰汁だらけでしたが、私も開拓を始め、自分の肉が出て、灰汁が出て、弱さ、足りなさを自覚し、神様の恵みを味わい知りました。
先週、この番組を見て、コリントの手紙を黙想しながら、高ぶって老害牧師にならないように、神が私にも、この教会にもしてくださった恵みの数々を忘れることなく、恵みの出汁の利いた説教を語る者でありたい、と願わされました。
老害牧師とならないように、ぜひ、私のことを覚えてお祈りください。
さて、聖書日課は、ルツ記が終わり、コリントの信徒への手紙一になりました。
この手紙を書いたのは使徒パウロです。
パウロも、灰汁の強い人でした。
しかし、復活の主と出会い、神の恵み深さを味わい知った人です。
今朝は、金曜日の聖書日課、3章6節~9節までの御言葉を取り上げます。
もう一度、みなさんで一緒にお読みしましょう。
3:6 わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。
3:7 ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。
今日の御言葉です。
成長させてくださる神
今日のテーマです。
わたしは植え、アポロは水を注いだ。
コリントの教会は、パウロが植えた教会でした。
パウロが二度目の伝道旅行の際に、一年半、この地で福音の種を蒔きました。
パウロは、自分が植えたことを自慢しているのではありません。
パウロは、神様が植えさせてくださった、と証ししているのです。
パウロは、神様がアポロに水を注がせた、と証ししているのです。
主語は、神様であり、神様の御業を証し、神様が自分やアポロを用いて、教会を成長させてくださった、と証ししているのです。
私たちは、自分の功績を自慢し、自分を誇りたくなる傾向があります。
いつも語っているように、アピールと証しは異なります。
イエス様は、自分のしたことをアピールせず、証を残しました。
証とは、神様がなさったことを、人々に示すことです。
パウロは1章で「誇るなら主を誇れ」と語りました。
昨日の聖書日課でも「誰も人間を誇ってはなりません」とも言いました。
昨日の聖書日課でも、パウロは「あなたがたはキリストのもの、キリストのものは神のもの」と語っていますが、パウロは主を誇り、主がなされたことを喜び、証しながら、福音を伝えたのです。
パウロがコリントの町を訪れたエピソードは、使徒言行録18章に出てきます。
18:1 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。
18:2 ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、
18:3 職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。
パウロは、アテネからコリントの町に入りました。
そこでアキラとプリスキラ夫妻と出会います。
パウロは、一人で植えたのではありません。
この夫婦の家に滞在し、彼らと一緒にテントを作りの仕事をしながら、福音の種を蒔き、コリントの町に教会が生まれたのです。
パウロと共に主に仕え、共に働く者たちを、神様が備えておられたのです。
パウロも、アポロも、プリスキラ夫妻も、神様が選び、備えた人なのです。
ヨハネによる福音書15章16節
15:16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
あなたがたとは、神に選ばれ、集められた者であり、教会のことを意味します。
神様は、キリストを遣わし、ケファ(ペトロ)を選び、パウロもアポロも、プリスキラ夫妻も、その地に実を結び、実が残るように、神に選ばれた人なのです。
私たちの教会もそうです。
20周年の記念誌にも書きましたが、神様は「わたし」を選んだのではなく、「わたしたち」を選んで、この地に植え、ここまで成長させてくださいました。
誇るべきは、主であり、主の恵みの御業なのです。
アポロのことも、使徒言行録18章に記されています。
18:24 さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。
18:25 彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。
18:26 このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。
アポロは、聖書に詳しい人でした。
しかし、彼には足りない部分がありました。
彼は、ヨハネのバプテスマ(水のバプテスマ)しか知らず、イエスのバプテスマ(聖霊のバプテスマ)を知らずにいました。
人は皆、自分は完璧で正しいと思うと、聞く耳を失い、高慢になります。
アポロは、プリスキラとアキラと出会い、自分の足りなさを知ります。
きっと、この夫婦と出会い、聖霊のバプテスマを受けたのだろうと思います。
アポロは、彼らに送り出されて、アカイア州のコリントに向かうのです。
18:27 それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた。
18:28 彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである。
コリントの教会は、パウロが去った後、アポロが来て、教会は成長したのです。
教会を成長させるのは、キリストに仕える者を遣わした神様の御業なのです。
前回、ルツの物語から御言葉を学びました。
神様のドラマは、長編ドラマであり、連続ドラマです。
神様は、回復の神であり、救いの神です。
神様は、イスラエルと異邦人の垣根を越えて働かれるお方です。
神様は、教会と教会の枠をも超えて、働かれるお方なのです。
たとえ、見える形の教会が失われても、見えない教会は失われないのです。
神殿が倒れ、教会がなくなっても、神の言葉と聖霊の働きは続いています。
中国では、文化大革命で教会が倒され、宣教師が追放されても、神の言葉は残り、今も回復と救いのドラマは続いています。
3:8 植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。
3:9 わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。
植える者と水を注ぐ者
これはパウロとアポロのことです。
パウロもアポロも、主にあって一つであり、力を合わせて働く者なのです。
クリスチャンは皆、主にあって一つであり、力を合わせて働く者なのです。
一人一人の働き、奉仕、役割分担は異なります。
大切なことは、一人一人が分に応じて働くこと、キリストに仕えることです。
神様は、それぞれの働きに応じ、報酬、報いを与え、祝福して下さるのです。
しかし、教会が成長すると、不協和音が生じるのも、世の常、教会の常です。
パウロの耳に、派閥が生じ、争い合っている、という知らせが届いたのです。
1章10節以下を御覧ください。
小見出しに「一致の勧め」とあります。
1:10 さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。
1:11 わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。
1:12 あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。
コリントの教会の争いの原因は、肉の思いでした。
肉の思い、感情に支配され、皆が勝手なことを言い合って、モメ始めました。
教会は、霊の思い、御心に支配される世界です。
御心を求め、御心に従うことが、教会の生命線です。
コリントの教会は、まるで派閥政治のように、パウロ派とアポロ派とケフェ(ペトロ派)に分かれ、中には、「私はキリスト派」だという者もいて、内部分裂が起こり、不協和音が生じ、居心地が悪くなっていました。
パウロ彼らを諭しました。
皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。
教会の生命線は、主にある一致です。
心を一つにし、思いを一つにし、固く結び合うことです。
コリントの教会に起った問題は、どこの教会にも生じる問題です。
だから、私たちは、心を一つにし、思いを一つにし、固く結び合って、私たちはキリストのものであり、主に仕える者である、と告白し続ける必要があります。
新しい年度「今日までしてきたように、ただあなたたちの神、主を固く信頼せよ」(ヨシュア記23:8)という御言葉を掲げています。
成長させてくださるのは神様です。
今日までもそうですが、今日からも、主を固く信頼し、一つ思いになって、神のために力を合わせて歩んでいきましょう。
種を蒔く人は種を蒔き、水を注ぐ人は水を注ぎ、自分に委ねられたことを忠実にしながら、主の御心が行われるように、共に歩んでいきましょう。
お祈りいたします。

